皆さん、こんにちは。
3児のパパで自然派薬剤師、かめです。
皆さん、常識ってお持ちですか?
すみません。全然喧嘩を売っているわけではありません。
子供が生まれてからというもの、新しく勉強することばっかりで。
今まで常識だと思い込んでいたものが実は全然間違っていたということも数知れず。
もう常識というのが何だかバカらしく思えてくる今日この頃です。
大切だと思いますけどね。常識。
最近の幼児教育は凄いと思わされた出来事。
昨今、様々な医療の常識が覆ってきていますが、私の思っていた「栄養学」の概念を考えさせられたのは、長女が生まれて通い始めた幼児教室でした。
この衝撃は、おわかり頂けるでしょうか。
薬剤師の私が衝撃を受けたのが、最新の学会でもなく、最新の医療雑誌でもなく、まさかの「幼児教育の資料」だったのです。
病気の治療には、栄養は欠かせません。
しかし、医学部でも薬学部でも一通りの栄養学は学びますが、栄養というよりは「栄養素」を学ぶといった感じです。とても普段の食事に使えるような実践的なものではありません。
実際、病院での「食事指導」をするのは医師ではありません。「管理栄養士」です。
そう。実は医師や薬剤師は、食事指導の方法なんか習ってはいないのです。
我々薬剤師は通常、一通り習った「栄養学」と、細胞内のミクロの世界で起きている化学反応に使われる、ビタミンやミネラルなどの「栄養素」の知識を以て、食事の指導をします。
しかしそれは果たして、身体全体のバランスを見て総合的に判断できている食事指導と言えるのでしょうか。
貧血だから鉄分を摂れば良い。
肌が荒れているからビタミンCを摂れば良い。
疲れやすいからビタミンBを摂れば良い。
そんな指導なら、別に誰だって出来るわけです。
問題は、何故その状態になっているのか、その原因は?ということですよね。
原因を見ずに、出ている症状を見てそれに対応する栄養素を補うだけの食事指導ならば、それは対症療法のお薬を処方することと何ら変わりないものであると言えます。
話がだいぶ逸れました。
私が衝撃を受けた栄養学のお話でした。
それは、「栄養学の歴史」です。
意外に知られていない栄養学の歴史について。
今でこそ見直される場面も多いのですが、昔からの伝統的な「日本食」というのは、実は2回、壊されています。
1度目は明治維新の時。
2度目は太平洋戦争後です。
皆さん、現在の栄養学の元になっているものをご存じでしょうか。
これはなんと明治時代に遡ります。
当時、明治政府は栄養学の教授として、ドイツ・ミュンヘン大学の教授であり、栄養学者でもあった、カール・フォン・フォイト氏を招きました。彼は当代一流の権威を持つ人物でした。
フォイトの理論は簡単にいえば、「肉や牛乳など高カロリーな食べ物を、バランスよく沢山食べると健康になる」という考え方でした。
そして彼の提唱していた栄養のバランスは「高タンパク・高脂質・低糖質」であり、当時の日本の食生活である「低タンパク・低脂質・高糖質」とはまるで逆の食事だったのです。
何故これを受け入れた、明治政府。
と思ったのは、私だけでは無いはずです。
だって、今まで「雑穀飯とちょっとの魚とおみおつけとお漬物」で、何の問題も無く過ごしていた人が、突然「明日からパンと肉と牛乳とサラダにする!」と言われたようなものです。
洋食が浸透している今でこそ「それでもいいけど、ご飯と味噌汁は日本のソウルフードだから、たまには食べたいなぁ」で済まされるかも知れませんが、当時はもっと衝撃を以て迎えられたことは想像に難くありません。
しかも「高タンパク・高脂質・低糖質」というのは、実はただの当時のドイツ人の食生活であり、特に医学的・科学的・統計的な根拠なかったことが現在ではわかっています。
さて、ここまでは別に良いのです。衝撃的であろうと受け入れ難かろうと、実際に食事を変えることでより健康になれれば問題ないわけですから。
ここで出てくるのが、別のドイツ人医師、ベルツ氏の実験です。
エルヴィン・フォン・ベルツ氏は、ライプツィヒ大学で内科を修めた後、明治政府によって日本に招かれ、東京医学校(後の東京大学医学部)で医学や栄養学の教授をしていました。
その中で、彼はこのような体験と実験をしたそうです。
ベルツがある日、東京から110km離れた日光に旅行をした。道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。
二度目に行った際は人力車を使ったのだが、なんと前回よりたった30分余分にかかった(14時間半)だけで着いてしまった。しかもその間は一人の車夫が交替なしに車を引き続けたのだった。
『普通に考えれば、人間より馬の方が体力もあるし格段に速いはずなのだが、これではまるで逆だ。この体力はいったいどこから来るのだろう。』
ベルツは驚いて車夫にその食事を確認したところ、「玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵」という答えだった。聞けば平素の食事も、米・麦・粟・ジャガイモなどの典型的な低タンパク・低脂肪食。もちろん肉など食べない。彼からみれば相当の粗食だった。
そこでベルツは、この車夫にドイツの進んだ栄養学を適用すればきっとより一層の力が出るだろう、ついでながらその成果を比較検証してみたいと、次のような実験を試みた。
「ベルツの実験」である。
22歳と25歳の車夫を雇い、1人には従来どおりのおにぎりの食事、1人にはドイツ式の肉中心の食事を摂らせて、毎日80kgの荷物を積み、40kmの道のりを走らせた。
すると肉料理を与えた車夫はだんだんと疲労が募って走れなくなり、3日で「どうか普段の食事に戻してほしい」と懇願してきた。そこで仕方なく元の食事に戻したところ、また走れるようになった。一方、おにぎりを食べていた車夫は、そのまま3週間も走り続けることができた。
当時の人力車夫は、一日に50km走るのは普通だったという。ベルツの思惑は見事に外れたのだった。彼はドイツの栄養学が日本人にはまったくあてはまらず、日本人には日本食がよいという事を確信せざるをえなかった。
また彼は日本人女性についても「女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことがない」とももらしている。それらの結果、帰国後はかえってドイツ国民に菜食を訴えたほどだったという。
ベルツの日記より
ベルツの日記 上 (岩波文庫) | エルウィン・ベルツ, トク ベルツ, Erwin B¨alz, 菅沼 竜太郎 |本 | 通販 | Amazon
なぜ明治政府は栄養学の教授にベルツ氏ではなくフォイト氏を選んだのでしょうか。
本当に謎です。
今やフォイトの名前なんて微塵も見ないのに、ベルツの名前は残っています。
「ベルツ水」という化粧水です。
ベルツ水
日本独特の製剤。1876年(明治9)、当時東京医学校教師であったベルツが、箱根の一旅館で働く女性の手の荒れているのをみて創製したといわれている。日本薬局方名はグリセリンカリ液。アルカリ性で、顔の化粧水としては不向きである。
小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より抜粋
はい。
そんなわけで、日本人は今まで築き上げてきた健康的な食事を捨て、ドイツの栄養学を取り入れて不健康になったらしいことがわかりました。
「らしい」というのは、ベルツ氏が実験した日本人が2人だけだったという点ですね。
もっと人数を増やせば結果は変わってきたのか?それは今となっては定かではありません。
歴史から学ぶこと、自分で経験して自分にとっての真実を知ること。
フォイトとベルツの逸話から、私はその土地に根付いた伝統的な食事の大切さを学びました。
誤解しないで欲しいのですが、別に洋食よりも日本食が優れている、というわけではないと思うのです。
民族の歴史と、その土地柄、その土地で長く育ってきた民族の体質によって、食事内容は変わって当たり前だ、ということなのです。
フォイトの理論はドイツにおいて提唱され、確立されたものでした。当然ですが、ドイツと日本とは気候も風土も人の体質もまったく違います。
フォイトが推奨した「高タンパク・高脂質・低糖質」とは、当時のドイツの食生活に他ならず、ドイツ人の食生活こそがもっとも優れた食生活だという理論なのですが、その栄養学には、今日では特に何の医学的・科学的・統計的な根拠がないと言われていることは先にも述べました。
ドイツは、北緯50度。これは北海道よりも北に位置します。
洋食には「主食」という概念がありません。
それは何故か。
- ドイツは気候が寒冷であり、穀類の栽培が難しい。
- 麦は栽培できるものの、麦は連作が難しく、主食にしにくい。
- そもそも麦には必須アミノ酸が含まれておらず、穀物だけではどうしても栄養不足になってしまう。
そのためドイツでは高カロリーな「メインディッシュ」つまり、肉や乳製品などで栄養を補う必要があったのです。洋食において重要なのは、主食ではなくメインディッシュ。つまり、いかに生きていくための栄養とカロリーを確保するかという発想なのです。
そしてこの食事こそが、その土地に住む人たちの長年の経験から考え出された最適解であり、生き抜くための知恵だったと思われます。
問題は、それが「全てにおいて最高である」と考え、他の土地にも適用しようとしたことにあります。
日本は、北海道から鹿児島までが北緯30~45度に収まっており、温暖で湿潤な気候です。農耕に適し、特に米は完全栄養食品で、意外に思うかもしれませんが、必須アミノ酸も全て含まれています。このため基本的には「米さえ食べていれば大丈夫」であり、稲作が昔から神事として扱われてきた背景にもなっています。
国の周りは海に囲まれており、豊富な海産物と、山に入れば果物や、栗などの堅果類があり、畑作も容易であり、野菜や豆類にも恵まれていました。また、味噌や醤油など、発酵食品は日本独特の発展を遂げています。
ここから導き出されたこの土地の食事の最適解が、いわゆる「一汁一菜」や「一汁三菜」と呼ばれるもの。一見粗食に見えるこの食事は、温暖な土地に恵まれ、海や山に恵まれ、季節に恵まれた結果の、とても有り難い、豪華な食事なのです。
その食事を、残念ながらフォイトの栄養学はぶち壊してしまいました。
当時かなり背が低く小さかったという日本人。日本人は慢性的に栄養不足であり、最新のドイツ栄養学で日本人に栄養を摂らせ大きくしたら、果たしてどれくらい強くなるものなのか。そんな発想だったかもしれません。
また、当時のヨーロッパは民族国家の形成期であり、国民の民族意識を高め、国家としてまとめていくために、自国がどれだけ他国より優れているかを示すことが大切でした。フォイトの提唱した食事のバランスは、ドイツの中流家庭の平均的な食事から算出したものであることから、ドイツの食生活こそがもっとも優れているのだということを、日本ではなく「ドイツ国民に」示したかったのかもしれません。
いずれにせよ、このフォイトの栄養学が、今でもあまり見直されることがなく、現代まで延々と続いているのが現状です。
凄いでしょう。
これが、今の幼児教育で親が教わる内容です。
薬学部の講義なんかより、よっぽど興味深く勉強させてもらいました。
現在では一周回って、色々な栄養学の本が出ています。
当然ですが、日本の伝統食を否定するような本もあります。
それぞれが相反するようにも思えますが、どの本もそれなりに理論と根拠があり、実績があったりします。
歴史から学ぶことは大切です。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ、とも言います。
それは真実なのでしょう。
しかし、歴史から学んだことがそのまま使えるのかというと、そんなことはありません。
結局のところ歴史で学んだ事実を自分で実際に「経験」し、それが自分にとっての「真実」なのかどうかを検証する必要があるからです。
我が家では現在、マクロビオティックを食事の基本としていますが、それだけでは語れない体調もあります。まぁ、勉強不足なだけかもしれませんが…
なので、一つの理論にこだわらず、いろいろなものを試していこうと思っています。
良いものがあれば、随時ブログでも取り上げていこうと思っていますので、よろしくお願いします。
今回は、この辺にしたいと思います。
それではまた!
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